オリンピック柔道で色々あったようですが、実際「審判」は要らないのでは?

 今大会はビデオをチェックしているジュリーの指摘を受けて、有効、技ありなどのポイントが取り消されることもしばしば。私の見る限り、これまでのところジュリーが何か指摘して判定が変わらなかったことはない。

 ここが問題でジュリーの判断がほぼ絶対のものになっている。これでは畳の上の審判は何のためにいるのかということになる。

だってそうでしょう?結果として「誤審」だったと審判自身が認めて、判定を覆しているんだから。

選手はビデオを信じて戦えば良いし、審判はビデオをチェックするために試合を中断する役目だけを負えば良い。現状、そのような状態になりつつあるのだし、際どい部分の判定が機械化されている競技は筆者も書いているが他に幾らでもある。例えばフェンシング・サッカーのゴール・野球の判定等だ。

というか、これを書いた人はどうかしてるんじゃ無いのか?

理不尽な操作によって勝者が一瞬にして敗者に転落するような競技があってよいのだろうか。
柔道が最も日の目を浴びる五輪の舞台で、競技自体への不信を世界に植え付けてしまったのだとしたら、国際柔道連盟の責任は重い。

一体、何が理不尽な操作だというのだろう?
ビデオをチェックしている人が「誤審」だと言えば、例え畳の上の審判が正しくても「誤審」になるって事?
もしそうなら、「ビデオ」って証拠があるのだから厳重に抗議でも何でもすれば良いんじゃ無いですかね。
でも、それと「畳の上の審判の存在について」は別の問題だよね。